アジアをつなぐ英語

アジアをつなぐ英語―英語の新しい国際的役割 by 本名 信行

本名 信行(ほんな・のぶゆき)

青山学習院大学国際英字経済学部教授。
社会言語書く、言語政策額、国際コミュニケーション研究専攻。

アジアにおける英語の普及と変容を社会言語学的に考察する
国際学術専門誌 Asia Englihses編集長。

英語の話し手は、
ネイティブ・スピーカーよりも
ノンネイティブ・スピーカーの方が多い。

アジア諸国の人々が
英語をどのように使っているかを概観し、
異文化コミュニケーションの媒体としての英語を考える。

目次

はじめに

第1章 英語の国際化と多様化:アジア観点から

第2章 アジア英語のいろいろ…

第3章 日本人と英語:異文化理解とコミュニケーションのために…

第4章 日本人とアメリカ英語…

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MEMO

アジアをつなぐ英語

◆アメリカ人のある女性教授の言葉!

彼女は異文化理解とコミュニケーションの専門家として、
世界中で知られた学者である。

彼女はテネシー州に住んでいるため、
もっぱらの関心事は同州に進出した日本企業の
コミュニティ関係であった。

「このままでは日本人の評判は悪くなる一方ですよ」
と彼女は悲しそうな表情で語った。

「日本人は日本人だけでかたまってしまい、
アメリカ人とつきあおうとしないのです」。

特に、アメリカ人と日本人の主婦同士の
交流がほとんどなされないようだった。

パーティーに誘っても出てこないし、
呼んでもくれないという。

「日本の奥さんはそういうことに慣れていないので、
つい億劫になるんですよ」と説明しても、
納得してもらえない。

「交じり会おうとする態度が大切なんですよ」
と彼女は強調した。

日本人はどうも完全主義者なところがある。
しくじってはならないと気を遣うあまり、
英語をしっかりと身につけて、
相手のことをよく理解してから、
つかいあいを始めようと考えがちである。

しかし、こういった態度では、
どんな場合でもなかなか出発点には到達しない。

現在できるところから、
すぐに開始すべきなのである。

◆Better is the enemy of good
最善はしばしば善の敵になる

英語をマスターしたら使うというのではなく、
使いながらマスターするという気持ちをもつ。

「日本の景色は美しい」と言いたいときは、
「景色」は何だっけと考えながら現在知っている知識を
いろいろさぐり、「Japan is a beautiful country」
と決める訓練が有効である。

日本人は、ほぼ全員、中学校と高校で6年間も
英語を勉強する。

そこで国民的に費やされた時間とエネルギーは
膨大なものである。

その努力を安直にムダにしてはならない。

私たちひとりひとりかなりの英語能力を
身につけている。

私たちはそれをネイティブと同じようには使えない
かもしれないが、それは有効な伝達手段とし得るものである。

ネイティブの英語と違っていても一向にさしつかいない。

大切なことは、世界の人々との交流である。

イタリアの諺に
「Better is the enemy of good」というのがある。

よりよいものを求めることは結構だが、
いまここにあるよいものを犠牲にしてはならない、
といった意味である。

◆ニホン英語(Japanese English)は通じる

日本人は英語を学校で学習する。

ニホン英語とは、
日本人が中学から始めて高校までの6年間、
あるいは大学の外国語課程の2年間を
加えて合計8年間の学習で獲得した英語の
一般的パターンと定義できる。

重要なことは、
日本人はこの英語を基礎にして、
多くの分野でさまざまな事業をしている。

世界をまたにかけた日本のビジネスマンは
この英語に専門用語を足して、
困難な交渉をこなし、
現地の関係者と親交を結んでいる。

日本人はこの英語に気後れを感じているが、
それは実際は十分に通じるし、有効なのである。

だから、日本人はJapanese Englishにもっと
自信をもってよいはずである。

自分の英語をダメだ、ダメだというのではなく、
まず使ってみることである。

下手でも、ぎこちなくても、
とにかく使ってみることである。

日本人は、日本の社会で英語を学習する以上、
よほどのことがない限り、
アメリカ人やイギリス人と同じように英語を
話せるようにはならない。

どうしても、日本人のクセが出てしまう。

それは、当たり前のことなのである。

しかも、クセのある方が日本人であることがよくわかって、
かえって好都合の場合が多い。

英語は日本人が日本人であることを示す国際言語なのである。

◆English belongs to the world
英語は世界の言語である

English belongs to the world and every nation which uses it does so with different tone, color, and quality… No one needs to become more like Americans, the British, the Australians, the Canadians or any other English speaker in order to lay claim on the language.

英語は世界の言語である。
どの国の人々もそれを使うときには
独自の音調、色彩、内容をもって使う…
英語を使うからといって、
アメリカ人やイギリス人やオーストラリア人やカナダ人や
その他の英語の話し手と同じようになる必要はない。

◆日本人の言い方を必ずしも英米の慣用表現に合わせる必要はない

どこまでもネイティブふうに言わないと気が済まないとすると、
日本人の言い分が英米の慣用表現にない場合に困ってしまう。

私たちはこういったときは、
簡単に妥協してしまい、
既成の語句に合わせてしまう。

英語を英米の言語と考えると、
つい英米の慣用表現に合わせるのが
唯一の方法と思ってしまい、
英語とのかかわりにおいても、
消極的にならざるを得ない。

そして、「正しい」英語を話そうとうすることばかりに
気を使い、発言内容をも英語能力に合わせがちになる。

英語が未熟だと、それに相応したことしか言おうとしない。

これはたいへん危険な行為である。

とくに成人の場合は、
知識の程度を疑われたり、社会参加の意図を勘ぐられたりする。

何よりも、コミュニケーションが不平等になる。

◆日本のことを英語で説明できるようになる

日本人は一方では英語は国際言語というが、
他方では英語と英米文化は一体と考えがちである。

また、国際とは依然として、英米の関係と解釈しがちである。

日本の英語教育はこういった呪縛を断ち切らなければならない。

日本の英語教育では今日でも、
英米の文化現象を教材にしすぎる。

当然のことながら、世界の人々が英語で会話をするときの話題は、
英米の事柄に限られているわけではない。

タイ人ならタイのこと、
インドネシア人ならインドネシアのこと、
日本人なら日本のことを英語で話せないならば、
国際英語コミュニケーションは
何の役にも立たない。

英語を自己表現のために国際言語と考えるならば、
早くこの偏向を克服しなければならない。

そして、日本のことをもっと英語で読んで聞き、
さらに書いて話す訓練をする必要がある。

日本のことを英語で合理的に、
明示的に説明する訓練は、
これからますます重要になる。

◆英語は各自のもうひとつの言葉

世界の多くの人々は、
英語をもうひとつの言葉として使っている。

私たちは母語に加えて、
英語を学習し、
それを自己の目的に合わせて使うことが可能である。

英語の使いみちはまったく自由である。

とくに、ノンネイティブ・スピーカーにとっては、
英語が母語でないことがきわめて重要な基点になる。

英語が母語である人々によっては、
英語は生活のすべての面で重要な役割を果たす。

しかし、ノンネイティブ・スピーカーにとっては、
私たちは英語ですべてができなくても、
ちっとも困らない。

私たちは自分の都合に合わせて、
仕事、交流、教養、娯楽、研究、留学などの
一部で英語ができれば、それでよい。

英語はあくまでも、
個人のひとつの営みの手段なのである。

たとえば、個人の仕事の一部が英語でできれば、
その人は「英語ができる」と宣言しても一向にかまわない。

◆英語母語国の文化を模倣する必要はない

インド人、タイ人、あるいはインドシナ人の人々は
合掌しながら、英語であいさつをすることがある。

英語を話すなら英米人のように握手をしなければならない、
と考えるのはおかしなことである。

日本人ならお辞儀をしても一向にかまわない。

これは小さな事柄に見えるかもしれないが、
重要な問題を含んでいる。

要は、私たちは英語を話すからといって、
自分を文化を捨てる必要は
どこにもないということである。

◆ニホン「英語」でよい!

「英語を一生懸命勉強しているのに、
話せるようにならない」

こう思う人は多いことだろう。

しかし、臆することはない。

流暢に英語を話せなくても、
「正しい」英語である必要もない。

世界の人々を相手に自分の思うこと、
感じること、
すなわち自分のアイデンティティを
表現すればいいのだ。

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